日記よりのブログ

Duは何しにドイツへ

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努力は夢中に勝てない

努力は夢中に勝てない。

 

平日の月〜金曜日は本職で勤務。土曜か日曜、もしくは土日どちらも小学生にサッカーコーチを始めて約4ヶ月。

毎回、反省と改善点があり、そして子どもから多くのことを学んでいる。子どもからだけではなく、一緒に仕事をする先輩の取り組む姿勢など、歩く教科書のような人ばかりだ。

 

子どもの成長に携わることができて、チームを管理する立場になりどのように接すればよいのかというのを考えてきた。

 

自分の競技人生でどのような指導を受けてきたか遡ってみたが、やはり一番楽しかった時期と一番成長した時期は別だった。

楽しいと「楽」はまるで別物だ。

一番成長した時期は、皮肉にも恐怖政治の中でやらないと怒られると思い、プレーしていたときだった。毎週末の試合のために常に自分のできる全力で努力をしていた。

ただ、それは長続きはしない。一番成長した時期には同時にバーンアウトを感じた。

おそらく全ての人が経験のある、試験やテスト、4年に一度のオリンピックに向けて努力をするなど期間が決まっている、スプリントのような努力は、時に人を大きく成長させる。

しかし、長い人生でずっとスプリントで走り抜くことはできないだろう。

 

もっと科学的に説明するとしたら、恐怖政治の指導下の不安や心配の中ではノルアドレナリンが出てしまい一時的に集中力が上がるが持続力は低い。自ら「もっとやりたい」と思わせるには、子どもの興味と関心を惹きつけて、不安や怒りなどを極力取り除きつつ、緊張感を与えることが大切になってくる。

 

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試合前などには、過度の緊張か、過度のリラックス状態かによって各選手にアプローチを変えないといけないが、すべての選手に個別に声がけをするのは物理的に無理だ。

そのメンタルの調整は選手個人ができるように言語化し、説明できないといけない。もちろん、団子サッカーをやっと卒業した小学校低学年に教えるのは難しいのだが…。

 

 

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ある一定のストレスがかかるノルアドレナリンと、気持ちを高揚させるドーパミンを試合前に安定して分泌させてあげて、最高のパフォーマンスに繋げることが大事になってくる。

 

競技スポーツから生涯スポーツ

今後、まだまだ続いていく彼らのサッカー人生(競技はサッカーに限る必要もないし、スポーツ以外の部分でも)においてどのようなポジティブな影響を与えられるか。

サッカーを通じて、どう成長していってほしいのか。

スプリントのような短い距離の競技人生だけではなく、マラソンのように長期的な生涯スポーツに移行していってほしい。プロになれなくても、スポーツを続けていってほしい。それにこそ意味があると思うから。

 

そんなこと考えて、今はこの答えにまとまった。

 

努力は夢中に勝てない。

子どもたちを夢中にできるようにアプローチしていこう、、と。

努力を努力とも思わなくなるまで、楽しいが先行して自分からやりたいというモチベーションになるまで、好きなことを伸ばしてあげることを目標にしている。

 

相手チームのコーチが小学生年代を怒鳴って

「なんでやらねんだよ。なんで走らないんだよ。やらないんだったら帰れよ」

こんな指導を聞くと悲しくなる。そんなネガティブな言葉をかけられて誰が夢中になるのだろう。スプリントの努力を強いられて、サッカーが嫌いになったらどうなるんだろう。

 

子どもにスプリントのような努力をさせるのは、早すぎるというのが僕の意見だ。

 

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発射角度が少しでもずれると、その後の人生に大きなずれを生じる。これはスポーツでも他のことにでも当てはまる。

日本のスポーツは部活動が主流というのもあるが、高校卒業や大学卒業のタイミングで部活動から引退する。僕の周りでは、就職してから全くスポーツをしなくなり太ったという友達が約7割だ。これは、スポーツを真剣に取り組んだが、ノルアドレナリンが多く分泌された環境下での指導が原因のひとつだ。勢いよく、高く放たれたモチベーションは逆のV字を描き、いち早く手前で落下する。スポーツが嫌いになり、自分からやろうと思わなくなってしまう。

やらされた努力の限界値だ。

 

逆に、興味や好奇心だけで楽しく、難易度が低く簡単なエクササイズなどは、「やっている意味あるのかな」と感じてしまい、同じく早々にモチベーションが落下してしまう。

 

ギリギリの緊張感で、ギリギリの負荷で、自らがやると選択し、自分の頭で考え、努力していけるように発射角度を調整してあげる。それが、小学生年代の指導には必要なのではないのかなと思う。

 

もっと子どもの成長に携われるように、自分自身も勉強が必要だ。

以上、コーチング素人の持論を述べてみました。